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未来へ ~想いを瓦に託して~

​西光寺本堂 瓦志納のお願い

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およそ400年前に建てられた本堂を、200年先の後世へと伝え残したい。

 このページをご覧いただき、ありがとうございます。西光寺(大阪府池田市、浄土宗)の住職を勤めさせていただいております原章人と申します。

 約500年前、小さなお堂からはじまった西光寺は、その時代々々で、多くの皆様の協力により、現在の立派な本堂へと増改築・本堂内荘厳の充実がなされてまいりました。直近の大改修は約200年前の文政5年の棟札が確認されています。

 しかし現在、大改修から200年の時が経ち、近年の自然災害や経年劣化により、至る所で不具合が生じるような状態となっています。500年前に多くの皆様の協力によって建立されたこのお堂を、令和の時代に、多くの皆様のご協力により大改修を行い、200年先の後世へと残せるよう、ご協力をお願い申し上げます。

​西光寺の歴史

 寺伝によると、古くこの地に一草堂があり、念仏をする者が後を絶たず、その故をもって、「不断堂」と名付けられていました。およそ470年前、天文15年に止々呂美(現在の箕面市)より満譽祐圓上人を迎え、信徒と協力してお堂を再建し「西光寺」という住職が常駐するお寺になったとあります。

 約400年前、寛永年間には浄土宗総本山知恩院より、河辺等三郡の触頭に任命され、6ヵ寺の末寺を持つようになり、また、「能勢街道」と「西国巡礼街道」の交差点という立地もあり、西光寺は大いに栄え、狭い境内地に多くの堂宇が建ち、伽藍が整備されるようになりました。

 本堂屋根裏には、「承応元(1652)年」「元禄10(1697)年」「文政5(1822)年」の棟札が確認されており、少なくとも370年前のものが残されていることがわかっています。

 時が流れ、明治期の廃仏毀釈や昭和期の農地改革等、西光寺も大きな痛手を被りましたが、歴代の住職が地域の皆様と協力し、現在に至るまで、約500年の間、法灯が継承され続けています。

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▲創建当時、止々呂美から祐圓上人を慕って西光寺に来られたという伝説の観音様。実は向かって左は梵天様ですが、昔から”観音様”として親しまれてきたようです。平安期の小野篁作との鑑定記録(明治24年九鬼隆一氏らの鑑定団による)があります。

​本堂の現況

 近年では阪神淡路大震災(平成7年)、大阪北部地震(平成30年)、平成30年7月豪雨、同台風21号等の影響で、西光寺も大きな被害を受けました。現況の一部を写真でお知らせいたします。

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▲平成30年の大阪北部地震と西日本大豪雨の影響で崩壊した降り棟(当時)の写真です。現在は4本の降り棟を復旧せずに取り外すという応急処置を施しています。

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▲平成30年台風21号の影響により、切妻の漆喰が崩落した写真(当時)です。こちらも崩落した部分のみ補修する応急処置を施しました。

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▲阪神淡路大震災で「観音堂」「祖師堂(十王堂)」が全壊し、本堂濡れ縁片隅に仮安置されている仏様です。今回の改修では、これらの仏様を本堂内できちんとお祀りできるようにいたします。

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▲本堂屋根裏。近年の応急処置の形跡が見受けられますが、母屋が折損し、野地板が変形したままになっています。

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▲本堂正面階の部分にはシロアリの蟻害が進んでおり、一刻も早く手を入れなければならない状況となっています。

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▲本堂床下から発見された、祖師堂(十王堂)にお祀りされていたと考えられる仏様です。20躯程あります。応急避難措置として、現在蔵の2階に仮安置しておりますが、こちらは蔵と納屋を改修し、きちんと手を合わすことができる様、雛壇を設けお祀りさせて頂く予定です。

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▲こちらは本堂の内部、荘厳の様子です。御本尊は阿弥陀如来。明治24年に安阿弥(快慶)作との鑑定結果が報告されています。外陣内陣至る所に羅網が飾られ、地方都市の一般寺院としてはかなり豪華絢爛な荘厳となっていますが、経年劣化が随分と進んでいます。

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▲内陣の格天井には一枚一枚、300枚以上もの天上絵が張られています。壁には天女や四天王が描かれています。天蓋や幢幡も随分と立派な作りです。

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▲本堂正面、向拝の連三斗(つみれど)や手挟(たばさみ)、蟇股(かえるまた)等は、17世紀中頃の示しているとの調査結果が残っています。

 その他にもたくさんの仏像や仏具・壁画・彫刻等がありますが、長い歴史のなかで培われてきた信仰の対象を、後世へと残し、伝えてゆくことが私たちの使命であると考えます。

​令和の大改修の内容

 今回の令和の大改修は、企画コンペの結果、株式会社中島工務店様(岐阜県中津川市)にお願いすることになりました。

 事前の耐震診断によると、現状の建物では、限界耐力計算法において、震度6強以上の極稀地震で倒壊の可能性が極めて高く、震度5程度の稀地震でも小破~中破するとの結果が出ています。このため、今回の改修は次の優先順位をつけての大改修を行います。

1.震度6強以上の極稀地震が起きても倒壊しないだけではなく、補修によって再使用できる本堂に改修します。数百年前の建築様式を、数百年先の後世へと残すための大改修です。

2.古く伝統ある建築様式を損ねることなく、残すことのできる意匠・部材等はそのまま残します。

鎌倉期安阿弥(快慶)作と伝わる阿弥陀如来像、平安期小野篁作と伝わる観音像をはじめ、阪神淡路大震災で諸堂宇が倒壊し仮安置されたままの諸々の仏様を、きちんとお祀りできる場所を本堂内外に確保します。

3.近年の簡易な増改築部分については、かつての古い本堂の形式(三方向濡れ縁)に戻します。

4.予算の都合で金塗柱や天井壁画等の表装・漆箔工事はせず、現状保存と致しますが、阪神淡路大震災で欠落した折り上げ天井部分の絵は日本画家の井上美紀先生に新たに描いて頂きます。

5.改修後、文化財として登録することを目標にした改修を行います。

6.その他、山門や十王様等を祀るための別棟のお堂の一部改修を行います。

 直近の大改修は、今から約200年前の文政5年の棟札が残されています。今回の大改修によって、更に200年先の未来へ、後世へとこの本堂や仏像を伝え残すための根本修理を行います。

​事業内容・ご支援金の使い道など

 西光寺のこれまでの積立金や檀信徒様、地域の皆様からのご支援、今回このクラウドファンディング等を通し、皆様からのご支援により、次のような工事を予定しています。

 

   改修期間  …令和3年4月~令和4年11月

   場所    …大阪府池田市新町一番一号 西光寺

   費用(予算)…概算 1億7千万円(税込)

          <内訳>

            耐震改修工事     …3千万円

            その他修繕工事    …1億2千万円

             (本堂の他、山門改修と祖師堂(十王堂)改修再建工事を含みます)

            仏像仏具等荘厳修復  …2千万円

   設計・施工 …株式会社中島工務店(本社:岐阜県中津川市)

   仏像仏具修復…企画コンペにより令和3年5月頃選定

 

 今回、仏像仏具の修復は、必要最低限の修復を予定しておりますが、クラウドファンディングで集まった資金の状況により、予算の減額もしくは予算の追加をさせて頂く可能性があります。

​200年先の未来へ

​皆さまのお名前とお気持ちを、西光寺の屋根瓦に残していただけますよう、お願いいたします。

 新調する屋根瓦へは、今回ご協力頂いた皆様のお名前やメッセージを記入させて頂きます。一般的に瓦の寿命は60年と言われていますが、新調する瓦は三州瓦で、少なくとも100年は持つであろうと施工会社様は仰ってくださっています。西光寺の現本堂の屋根瓦も、200年前の大改修の時のものが多く残っていると推測され、200年先まで耐用できる瓦もたくさんあると考えられます。令和の時代の皆様の想いを、新しい瓦に托し、200年先の後世へと伝え残すことができれば幸いです。

​最後に

 寺院の建立は、その当時のその土地の有力者の勧請によるものが多いと言われていますが、西光寺は、当時の地域の多くの皆様の厚い信仰により、皆で力を合わせて建立されたお寺であると伝えられています。

 今回の200年振りの大改修によって、200年先の未来へと西光寺を伝え残すための事業を、多くの皆様からのご支援により、成功に導きたい思いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

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▲西光寺役員一同、どうぞよろしくお願い申し上げます

詳しくは、西光寺までお問合せ下さい。​

                   電話 072-751-2206

                   FAX  072-751-2406

                   email: akiling@msn.com

最後までお読み頂き有難うございました。

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