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執筆者の写真Akihito Hara

文化財公開ウォーキング他

11月16日(土)、池田市主催の文化財公開ウォーキングが開催されました。当日は40~50名の方が西光寺に来られ、池田市文化財保護審議会会長の室田先生から文化財を中心とした墓碑の解説がありました。写真を撮っていますので、当日の様子を少しご紹介させて頂きます。



猪名川政右衛門の墓碑前にて。江戸時代中期に活躍した池田出身の力士。諸説ありますが、池田市教育委員会の説明碑文では、池田の酒造業「多田屋」で生まれたとされています。最高位は関脇、小結、前頭筆頭と、文献によりバラつきがあります…。豪快な取組で人気を博し、人形浄瑠璃「関取千両幟」のモデルになった力士です。「千両幟」は、数年前も国立文楽劇場で」が公演されるなど、現在までずっと語り継がれています。


その他にも西光寺にはお相撲さんのお墓が2~3基ありますが、今回は紹介されていません。酒造業が盛んだった頃、お相撲さんを支援をした旦那衆が多く池田にはあったのだと思います。


なお、現在猪名川関の墓碑は、西光寺の代々の檀家総代であるM川さんと、遠縁にあたる川西市東多田の有志の方によって定期手に花が手向けられ、守られ続けています。




続いて江戸中期に池田文化の最盛期を支えた荒木一族(蘭皐、李谿、梅閭)の墓碑前で説明がありました。現在、荒木家は(明治期だったか?)に絶えてしまい、無縁墓としてお祀りしています。



田村駒治郎の墓碑前にて。田村駒株式会社の創始者一族のお墓です。現在は三代目田村駒治郎さんにお守り頂いております。毎年四月になると、田村駒の新入社員さん達が人事部の方といっしょにお墓参りに来られます…。私の母校、W大学出身者も、多く田村駒に就職、お世話になっているので、西光寺に来る前から田村駒さんとは親近感がありました…。


その他、300年以上、代々医業を生業とした平野家墓碑、江戸初期の俳人阪上稲丸の墓碑見学・説明などがあり、文化財ウォーキングの一行は、西光寺を後に、池田一の旧家、稲束家住宅へと向かいました。この稲束さんも古くからの西光寺の檀家さんで、稲束家に残されている日記により、江戸期の西光寺の様子を伺い知ることができます。













その他、プライベートな日記ですが、16日(土)のお昼からは、「池田分かち合いの会ひかり」に参加させてもらいました。宗教者として悩みを持つ方々とどう向き合うか、どう寄り添うことができるのか、ステレオタイプな答えなど勿論ないのですが、自分自身、いろいろと考えてゆきたいと思っています。コーディネーターの方の「(大切な人を亡くした事を)受け入れられない。でも受け入れられないまま、そのことを受け入れていく」というお話が印象的でした。




遡って12日(火)は、知恩院前の宗務庁へシンポジウム「あるべき僧侶の姿を目指して ―『浄土宗僧侶生活訓』の公開-総合研究プロジェクト-」を聞きに行きました。…話の内容は一般公開禁止ということなので、詳しくは書けないのですが、ここでも、僧侶として「他者にどう寄り添うか」が大きく問われていました。


知恩院古門前。奥に三門。久々に京都にきました。


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