3月17日(水)13:00~16:00過ぎまで、池田市による本堂や山門の建物調査がありました。
概ね、大阪府教育委員会文化財保護課「大阪府の近世社寺建築ー近世社寺建築緊急調査報告書-」昭和63年3月.に書かれてある内容と変わらない結果でしたが、この報告書には、本堂屋根裏に残る「承応元年」の棟札が見落とされています。今回、中島工務店の現況調査で承応元年の棟札が見つかっていますので、これまでの元禄期から50年昔に遡って現在の本堂が存在した事が確実になりました。
現在の本堂内の柱等には、雨風に晒された痕跡があるので、ある時代に本堂をひと廻り大きくしたと推測されるのですが、調査してくださった先生方の話等によると、柱の配置換え等がなされた可能性もあるそうで、いつ頃、どの規模の本堂だったのか、現状では推測が難しいようです。向拝や来迎柱の彫刻は、元禄期か承応期かのどちらかのものと推測されますが、もし、承応期のものであれば、向拝の移動は考えられないとのことだったので、370年前に既に今の本堂の大きさがあったという事になるのですが、いずれにせよ、今回の工事で小屋組みや床組みを外した時に、番付が発見されたらもっと正確なことが言えるだろう…との事でした。
山門も見て頂きましたが、山門の彫刻も本堂と同時代のものかも知れない(昭和63年の大阪府の調査では18世紀頃の建築)とのことでしたが、こちらは今後、山門の棟札を赤外線をあてて解析してもらうことになりました。
次回は3月26日に、仏像の調査が入ります。
調査の様子。山門の棟札は墨が落ちて読み取れませんでした。赤外線調査で文字が判るらしいです。
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