5月18日、西光寺にある猪名川政右ヱ門氏の墓碑に関連して、読売新聞の取材を受けました。
池田市史跡に指定されており、次のような説明板が墓碑近くに建てられています。
「猪名川政右衛門は、江戸時代中期に活躍した池田出身の力士である。
元文四年(一七三九)に池田の酒造業「多田屋」に生まれたといわれ、宝暦五年(一七五五)に藤島部屋に入門、翌年初土俵を踏んだ。最高位は小結であったが、人柄や取り口から人気を得、浄瑠璃“関取千両幟”の主人公のモデルになるなど、当代きっての花形力士であった。
天明六年(一七八六)引退し、その後、年寄初代“猪名川(現在の安治川)”として、大坂相撲の発展に貢献、寛政十二年(一八〇〇)六十二歳で没した。
彼の存在は、池田の相撲熱を大いに高め、刺激を受けたプロ・アマ力士が池田から誕生した。まさに、近世池田文化を象徴する人物のひとりといえる。」
墓碑については、先代住職から、「元々、辻ヶ池付近にあったお墓だが、池を埋め立てて公園にする為、西光寺に移転した」と、口伝えで聞いていただけですので、私も猪名川政右ヱ門氏やお墓の詳細はよく判っておりません…。政右ヱ門氏の戒名が浄土宗特有の戒名である事や、西光寺の総代筋のお家であるMさんが代々、お墓のお世話をされているので、西光寺と関係が深いことに違いはないのですが…。
小一時間、記者の方とお話をさせて頂きましたが、お役に立つような情報提供はできなかったような気がしています。過去帳を調べておけばよかったと今この記事を書きながら後悔しています。
いつになるかわかりませんが、読売新聞で連載中の「大阪(大坂)面影探し」で摂津名所絵図等と関連して、紹介してくださるようです。楽しみにしています。
御礼に、取材に来られた記者方の著書を頂きました。
落語の関係で少しお話をしていると、西光寺で開催している書道教室へ来られている方ともつながりがあるようで、不思議なご縁の一時間でした。
<追記>
…という事で早速過去帳を調べてみました。
猪名川政右ヱ門氏が亡くなった寛政十二年過去帳を調べてゆきます。
同年の過去帳に多田屋さんの屋号が掲載されていますので、政右ヱ門氏の生家である多田屋は西光寺の檀徒だったことがわかります。…ただし、屋号は重複がたくさんあると思われるので親戚筋かもしれませんが…。
こちらは現在政右ヱ門氏の墓碑のお世話をしているM家の屋号「茶屋」。これも寛政12年の過去帳に掲載がありました。当時から何かつながりがあったのでしょう…。タニマチをされていたのかも知れませんね…。
そしてこちらが政右ヱ門氏。時系列できちんと掲載されていますので、西光寺との繋がりも深かったのかと思われます。
・(寛政十二年)十月九日
・旭譽円月岳映禅定門(戒名)
・大坂伏見堀
・虎屋政右ヱ門(本名,俗名)
・六十二歳
・縁且之?
等が記載されています。縁者として記載されており、西光寺が直接お葬式を勤めたことは記録されていません。後を継がれた方の名前(息子さんや奥さん)も不明です。
こちらは西光寺にある政右ヱ門氏の墓碑ですが、「門弟中」と刻まれています。お弟子さんたちが建てたものです。
政右ヱ門氏のお墓は複数存在しており、大阪市北区の市営南浜霊園にもあるようです。http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/06-36.htmlより掲載 。草木が茂っており、無縁さんになっているのかも知れませんね…。
以上、追加調査でした。
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